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T's STUDIO:インタビュー

インタビュー

写真 ■経歴
1969年生まれ
1996年9月 オレゴン州立大学 スポーツ科学部アスレティックトレーニング学科 卒業
(BS)
2004年3月 学校法人花田学園 日本鍼灸理療専門学校 卒業
2007年3月 学校法人花田学園 日本柔道整復専門学校 卒業
■資格
NATA-ATC
鍼師、灸師、按摩マッサージ指圧師
柔道整復師 NASM-PES
■職歴
1997年7月〜1998年3月 日本航空女子バスケットボール部(アスレティックトレーナー、S&Cコーチ)
1998年4月 有限会社トライ・ワークスに入社
2004年4月 有限会社トライ・ワークス代表取締役に就任
リコーラグビーフットボール部(1998年4月〜2004年3月)
拓殖大学ラグビーフットボール部(2004年4月〜現在)
7人制ラグビー日本代表アスレティックトレーナー(2004年9月〜現在)
国体 東京都成年男子ラグビー アスレティックトレーナー(2004年&2005年10月)
15人制ラグビー日本代表アスレティックトレーナー(2008年4月〜現在)


今回は、トライ・ワークスの代表取締役であり、現在15人制及び7人制ラグビー日本代表トレーナーを勤める木村通宏トレーナーにお話を聞きました。

アスレティックトレーナーになったきっかけを教えてください。
写真 高校卒業後、知人の紹介でグアム大学に留学しました。何が勉強したいか決まっていたわけではなく、英語を勉強しながら、自分が勉強したい事を見つけようという気持ちでグアムに渡りました。ホームステイ先の子供達が親戚に柔道を習っていたので、一緒に柔道を始め、グアム代表としてコロラド州のUSオリンピックトレーニングセンターでの大会に遠征する機会がありました。その大会で、道場の片隅に、腰にファニーパックを付け、チノパンとポロシャツ姿で立っている人が目についたのですが、その人が怪我をした選手に駆け寄ったり、テーピングをしたり、アイシングをしている姿に強烈に惹きつけられ、話しかけてみました。「どうやったらそういう職業につけるのですか?」という私の質問に「NATAというアスレティックトレーナーの団体があり、アメリカでは公認のカリキュラムのある大学があるから調べてごらん。」と言われました。何が勉強したいのか模索していた自分にとって、これはまさに衝撃的な出会いで、グアムに戻ってから、当時はインターネットも無く、情報が少なかったのですが、お世話になっていたグアム大学の体育の先生にNATAのカリキュラムのありそうな大学を聞き、片っ端からタイプライターで手紙を書き資料を取り寄せました。オレゴン州立大学への編入手続きが済んだ時にはグアムに留学してから4年が経っていました。
学生トレーナー時の思い出は何ですか?
写真ATCを目指して留学された方はどなたも経験していると思いますが、学期末の長期休暇は全て合宿で、周囲の日本人留学生はスキー旅行に行っているのを横目にアスレティックトレーニング漬けの毎日でした。期末テストが終わってすぐ合宿が始まり、遠征から夕方に帰って、徹夜でコンピューターラボにこもって宿題のペーパーを仕上げたら、もう次の学期が始まっているといった感じです。昼食を取っている時間の余裕が無く、自分で作ったサンドイッチを教室から体育館まで歩きながら食べたりしました。学業と実習時間の両立は厳しかったのですが、アスレティックトレーニングという学問に全力投球できた忙しくとも充実した4年間で、全てが良い思い出です。
最終学年にはオレゴン州立大学の女子バレーボール部に配属されました。1年間、練習、合宿、PAC-10カンファレンスの遠征に全て帯同させていただきました。大きな怪我は、アメフトなどに比べて少ないかと思っていたある日の練習で、ブロック練習中にボールに指を弾かれた選手が小指を開放性脱臼をし、初めて生きた人間の骨を見た時は衝撃的でした。それ以来、「常に何が起こるかわからない」という緊張感で現場に立っています。
写真 これまでアスレティックトレーナーとして見てきた競技は何ですか?またそれぞれに違いはありましたか?
オレゴン州立大学の学生トレーナー時代は、アメリカンフットボールを高校で1シーズン、大学のスプリングフットボールを1シーズン、その他、体育会の全ての部活動をローテーションで担当しました。最終学年では女子バレーボール部のヘッド学生トレーナーとして配属され、1シーズン、全ての遠征、合宿に帯同しました。
帰国後、実業団の女子バスケットボール部を経て、1998年から社会人のラグビーチームに携わって以来、関わってきた競技はほとんどラグビーです。オレゴンの学生トレーナー時代は、アメリカの中で「アスレティックトレーナーの役割」というのがしっかりと決まっていて、もちろん、高校と大学ではトレーニングルームの広さ、備品にかけられる予算の違いなど、規模の違いはありましたが、どのスポーツについても、アスレティックトレーニングという業務の線路がひかれていて、自分はその線路から脱線しないようにもくもくと業務を行うような感じで、特に違いは感じませんでした。日本に帰国してからは、それぞれ所属するチーム・競技により求められる業務が多岐に渡っていましたので、よりその競技に精通している事を求められていると思います。女子バスケットボールでは、チームにトレーナーは1人で、ウォームアップ、ウェイトトレーニング・フィットネストレーニングなどの指導、練習後の選手のケアなど、アスレティックトレーニング業務以外にもチームから求められた事は何でもやりました。アメリカではアスレティックトレーナーが慰安的なマッサージをやっているとヘッドトレーナーに怒られましたが、日本では当時「ケア=マッサージ」のような雰囲気がありました。
社会人のラグビーに関わってからは、ラグビーが私自身が経験した事のあるスポーツであった事、また、チーム内で組織改革が行われていた時期で、メディカルとトレーニング関係の業務が分業され、アスレティックトレーナーをはじめとしてそれぞれの分野のスペシャリストが外部から出張されていましたので、よりアメリカに近い形でアスレティックトレーナーとしての業務に集中してチーム内で活動出来ました。英語が話せるという事で、本来のアスレティックトレーニング業務ではない、外人コーチの通訳を担当した年もありましたが、その時のチーム事情により臨機応変に立ち回る事も大切でした。
日本ラグビーフットボール協会の代表関係の仕事は、鍼灸マッサージ師の資格を取得したことで治療行為が出来る事、ラグビーのトレーナー現場での経験がある事がきっかけとなりましたが、フルタイムで毎日見ている選手と、短期間の遠征でそれぞれ異なった環境のチームから選手をお預かりするということでは、障害・外傷に対するアプローチは多少変わってきました。また、各チームのメディカルスタッフとの連絡・報告も非常に大切な業務の1つです。
ATCとして日本で働く良さは何かありますか?
言葉は色々とありますが、「メディカル部門のディレクター」あるいは「交通整理役」とでも言いましょうか、チームという組織の中で、監督・コーチ・選手・チームドクター、その他チームに関わる専門分野のスタッフとコミュニケーションを取りながら、メディカルチームが円滑に運営していけるようにコントロール出来るという能力では、ATCは長けていると感じます。
アメリカで経験したなかで、今後、日本でも取り入れたいことはありますか?
全米各地で開催されているワークショップでの様々な徒手療法の技術には興味があり、機会があればそういった技術を着実に習得して行きたいと思っております。
その他、アスレティックトレーニング関係のグッズの市場が日本ではまだまだ小さく、トレーナーバッグ、遠征用のトランクなど、既成の物を代用していますが、良いものがあれば日本でも使っていきたいと思いますし、持ってくるのが難しければ日本で開発していきたいですね。
若手トレーナーやこれからトレーナーを目指す学生に接することが多いと思いますが、その方達に、メッセージをお願いいたします。
写真 日本では現状、アスレティックトレーナーが医療従事者という位置づけにはありませんが、「選手の命を預かっている」という気持ちで勉強して、緊張感を持って現場に立つ事を目指して欲しいです。資格を取得して、実際にアスレティックトレーナーとしてスタートラインに立ってからは、さらに責任のある仕事も与えられ、学生時代以上に、知識のアンテナを広げて自分自身で勉強を続けていく事が必要になってきます。何でも一生懸命やり、目の前の試験などを1つ1つクリアして行けば良かった学生時代とは違います。教科書では習わない様々な事が現場では起き、自分の言動に責任を持ちながら、組織の中で良質のコミュニケーションを取り、1つ1つ問題を解決していかなければなりません。
「鍼灸マッサージ、柔整、ATC、どれを取ったら良いですか?」という質問も良く受けますが、自分が何をやりたいか、短期のゴール、長期のゴール、関わりたいスポーツ、チームなどリサーチすれば自然に答えは出てくると思います。まだ何をやりたいかはっきりしない人は、若いうちは、迷ったら何にでもチャレンジして下さい。トレーナーとしての技量、技術、知識の引き出しを少しずつ増やしながら、アンテナを広げていれば、自ずと自分の目標、ゴールに近付くと思います。
最後に、私自身、日本に帰国するきっかけともなったのですが、アスレティックトレーナーという職業が社会的に認知されるように、己を磨き、お互い切磋琢磨しながら、成長していきましょう。各々が現場で活躍し、アスレティックトレーナーの重要性が認められていく事で、日本のアスレティックトレーナーの社会的地位は少しずつ高まっていくと思います。