■経歴
1974年生まれ
2004年Minnesota State University, Mankate校 Human Performance: Athletic Training学科卒業
2005年〜2009年 bjリーグ大分ヒートデビルズヘッドアスレティック・トレーナー
2010年よりリコーラグビー部アスレティック・トレーナー
■資格
NATA-ATC、Life Supporting First Aidインストラクター
今回はATR半蔵門アスレティック・トレーナーの堀口陽子トレーナーにお話を聞きました。
日本で会社勤めをしていた時、日本のバスケットボールチームで活躍している女性アスレティック・トレーナーの特集記事をスポーツ雑誌で目にしました。その時初めてアスレティック・トレーナーという職業の存在を知り、とても興味が沸いた事を覚えています。幼いころからスポーツを観るのも行うのも大好きで、「将来はスポーツに関わる仕事が出来れば」とずっと心に抱いていました。その後、この仕事について調べたところ、アメリカにNATABOC-ATCと言う資格があり、その資格を取る為には専門分野の学位が必要だとわかりました。その時点で私はもうすでに24歳でしたので、留学するなら今しかないと思い渡米を決心しました。
進学先をMinnesota State University, Mankatoに決めた一番の理由は、学費の安さでした。州立の大学でしたのでもともとの学費も安く、その上在学中に高いGPA(成績評価値)を保てば大学内の奨学金を得られることが分かりました。加えて当時この大学のアスレティックトレーニング学科には5人の日本人学生がいて、入学前からコンタクトを取りいろいろと情報を得ることが出来たこともひとつの要素でした。
学生トレーナー時代はとにかく毎日忙しく、あっという間に2年間が過ぎていきました。授業は出来るだけ午前中に取り、午後はトレーニングルームと自分が担当しているスポーツの練習に参加し、夜は宿題と予習をしていました。4年生になると遠征にも帯同しました。遠征時には対戦相手の大学のトレーナーを探し、自己紹介をし、必要な情報(緊急時の対応等)をお互いに交換します。
女子サッカーの公式戦でオクラホマ州にアシスタントトレーナーと共に行った時、選手同士が交錯し脳震盪で救急車が必要になったことがありました。その時はしっかりと情報交換をしていたので病院までスムーズに事が進みました。この出来事は私の初めての遠征時に起きた事だったので、とても印象的で鮮明に覚えています。加えて、情報交換の重要さを身にしみて感じました。
学生トレーナー時代には特に就職活動は行いませんでした。大学卒業後、私は日本での就職を考えていましたが、渡米する前から日本でのアスレティック・トレーナーとしての就職は難しいと言われていたので、日本に帰国してからじっくりと職を探そうと思っていました。
日本に帰国後、9ヶ月ほど川崎の治療院でアスレティック・トレーナーとして働きました。週に数回近隣大学のフィールドホッケー部やラクロス部、また近隣高校の野球部に出向き、選手の怪我の管理やコンディショニングの指導をしていました。その後、bjリーグ所属の大分ヒートデビルズのアスレティック・トレーナーの職を得ました。当時このチームは新規チームでしたので、過去に資格を持ったトレーナーはおらず、何も環境が整っていない状況でした。今考えると歴史あるリコーラグビー部とは何もかも違う環境でした。
ラグビーとバスケットボールとではコンタクト、リミテッドコンタクトスポーツという違いがあるので、テーピングの巻き方やよく起こる怪我の種類も多少違います。例えば、膝のACLのテーピングではバスケットボール選手に巻いていたやり方ではラグビーの練習や試合では途中でほとんど取れてしまっていました。原因は直接肌に触れているテープの量が少ないせいでした。ラグビーに関して、テーピングについて一番に感じたことは、出来るだけ肌にテープを直に張る量を多くしたほうが効率的だということでした。
また、大分のバスケットボールチームは全員がプロの選手だったので、比較的練習や治療の時間には余裕がありました。が、リコーラグビー部はプロの選手もいますがほとんどは社員選手です。
毎日時間に追われている状況なので、選手のケアなども出来るだけ効率的に出来るように工夫しています。
普段一番に心がけていることは、選手の怪我の評価をするときに自分の心を落ち着かせることです。学生トレーナー時代初めて練習中に選手の怪我の評価をしたとき、頭が真っ白になってしまって今でもどんな怪我だったかどのように評価をしたか覚えていませんが、1つだけ覚えていることは当時の大学のアシスタントトレーナーに、「もっと落ち着きなさい。急ぐ必要は無いんだよ。」と言われたことだけです。トレーナーが慌てた態度でいると選手は余計に不安に思います。ですので、怪我の評価をするときや選手に接するときの口調は丁寧にゆっくりと、ただ動作は素早く正確に行うことをいつも心に留めています。