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T's STUDIO:インタビュー

インタビュー

写真 ■経歴
1975年生まれ
1998年 米国 Eastern Washington University 体育学部スポーツ医学・アスレチックトレーニング学科卒業
2001年より(有)トライ・ワークス所属。東日本社会人リーグ、リコーラグ ビー部でアスレティック・トレーナー、現在に至る。
■資格
NATA公認アスレティック・トレーナー(ATC)
NASM公認パフォーマンスエンハンスメント・スペシャリスト(PES)
NSCA公認ストレングス&コンディショニング・スペシャリスト(CSCS)
■トレーナー経歴
リコーラグビー部アスレティック・トレーナー
トライ・ワークス トレーナー
ATR半蔵門アスレティック・トレーナー


今回はATR半蔵門アスレティック・トレーナーの加古円トレーナーにお話を聞きました。

なぜアスレティック・トレーナーになりたいと思ったのか?
バレーボールのプレー中、着地時に足関節を捻挫しました。それまでも軽度の足関節捻挫、膝痛、腰痛と繰り返してはいたのですが、一度ひどく受傷した時に受診したのですが、医師からは「骨折はしていないから、一ヶ月松葉杖をついて、あとは湿布で治しなさい」と指示されました。早く治したい一心で、松葉杖をつき、安静にしていましたが、痛みは引かず、「なぜ誰も手を貸してくれないのだろうか?」と疑問が湧きました。「何かリハビリのようなことをしたら良くなるのではないか?」と考えました。偶然にも、臨時にいらしていたコーチに話をしたところ、「アメリカにはトレーナーという職業があり、そういう勉強ができる場がある」と教えてくれ興味が湧きました。
在学中の日常生活例を教えてください。
写真 ELI(English Language Institute)で半年英語を学び、その後大学の授業を履修し始めました。最初は授業についていくことが大変で、辞書片手に時間をかけて復習していきました。また専門科目の授業では専門用語で苦労しました。周りのアメリカ人の友人に聞いても、専門用語過ぎてわからないといいますし、周囲のトレーナーに意味を説明してもらいながら、勉強していきました。インターネットも今日のように普及していませんでしたので、論文を書かなければならないときには、図書館に篭り、必死に勉強した覚えがあります。
インターンを始めてからは、大学の授業を午前中に集中させ、その後、昼過ぎトレーニングルームに入り練習前の準備、練習の帯同、練習後のケアをして1日を終えました。週末は練習や試合のスケジュールに合わせて動いていました。2年半の間、ほぼ毎日実習に行っていましたので、ゆうに1,500時間は超えていました。
インターン時代の思い出(良かった面や苦労した面など)を聞かせてください。
学生トレーナーが少なかった関係で、シーズン毎に様々な競技に携わることができました。 遠征先に到着すると、まず初めに緊急時に備え、公衆電話を探しました。相手のトレーナーにご挨拶し、緊急時対応などお話した後、すぐにテーピングやストレッチなど試合に向けて準備をしました。経験もない駆け出しのトレーナーが1人で試合を任される訳ですから、遠征は毎回緊張していました。その緊張感もとても懐かしいです。また対戦相手チームのATCも、学生トレーナーが1人で帯同していることが自然な環境でしたので、親切に色々と教えてくださったことを覚えています。そして大学スポーツではありましたが、選手のタフさには驚かされました。片道6時間かけて現地に到着すると、文句一つ言わず、選手は待っていましたとばかりに、さっと着替え、ウォームアップを開始し、すぐ試合となりました。その切り替えの早さに「Athlete」だと感じました。
またゴンザガ大学はスポーツが盛んで、特に男子バスケットボールは全米ランキングが高く、私がいたときにはElite8(ベスト8)になりました。ホームゲームでは、地域のファンが沢山きて、観客で一杯になりました。その興奮を学生トレーナーとして経験できたことは良い思い出です。
在学中ヘッドトレーナーから教わったことで印象に残っているエピソードがあったら教えてください。
ある日、自信がなさそうな態度の私にヘッドトレーナーが「行動に自信を持てるのも持てないのも、そう大差があるわけでなく、心の持ちようで自分を変えることができる」というようなことを言われました。とても印象的な一言で、自分の中で何かが切り替わり、トレーナーになるために何をすべきかよく考えるようになったと思います。
それから女性だからということではなかったと思いますが、「トレーナーとして一線を引いた目で冷静に毅然とした態度で選手を評価しなさい」と言われました。その言葉の通り、これまでどのような状況でもそのように選手と関わるようにしています。
帰国後初の現場がリコーラグビー部のアシスタントトレーナーでしたが、その役割を担うのに気をつけていた点があれば教えてください。
写真1つ1つの仕事をきちんと行なうことです。選手の状態をしっかりと把握し、ヘッドトレーナーとよい関係を築き、コミュニケーションをよくとるようにしていました。また常にアシスタントトレーナーとしてどのように行動すべきか考えて動いていました。トレーナーの仕事は練習前から始まり、練習や試合が終わっても、オフの日でも沢山あります。複数いたトレーナースタッフとのコミュニケーションをしっかりとり、1つ1つの仕事を円滑に進められるように務めていました。ラグビーのトレーナーはやはり体力勝負なところがあります。機敏に動くこと、そして凛とした姿勢で選手と向きあうことが大切ではないでしょうか。
加古さんにとって妊娠、出産、育児はどのような経験でしたか?
どれも初めての経験で、予想以上の大変さでした。妊娠、出産がどれほど女性の身体に負担をかけるか、その変化を自身で経験したことはトレーナーとしてもよい勉強になりました。育児も一筋縄にいかず、子供の目線で接することの大切さを日々感じています。
ですが私にとって、トレーナー活動はライフワークですので、一時期間を空けてもトレーナーとして復帰しようと考えており、辞めることは考えませんでした。それについては、主人が私のトレーナー活動のよき理解者で復職するにあたり、家族も子育てのサポートをしてくれて大変助かっています。周囲の協力なくしては復職できませんでした。 最初の復職では、フルタイムで働いていた感覚が残っていて、「もっと働きたい」という気持ちが強すぎており、なかなか子供のリズムと仕事のリズムが掴めずにいました。その点2回目の復職では、子供のリズムと仕事のリズムがだいぶ上手く取れるようになりました。
家庭と育児を抱えての現場復帰は時間のやり繰りが大変かと思いますが、どのような点が大変でしょうか?
やはりどのワーキングマザーもそうだと思いますが、子供が風邪を引いて、仕事を休まなければならないことや、急な発熱で保育園からお迎えの連絡があるときです。子供がまだ小さいうちに復職したので、子供も保育園で感染症にかかりやすく、時間を見つけては通院する日々です。家事も短時間で済ませなければなりませんので、子供に合わせてうまくタイムマネージメントしています。また職場に理解者が多く、サポートして頂いていて、感謝の言葉しかありません。周囲の協力なくして、仕事の継続は難しく、私は仕事に支障がでないように最大限努力するだけです。
加古さんの理想とするアスレティック・トレーナー像を教えてください。
選手とコミュニケーションがしっかりとれ、丁寧で正確な評価ができるトレーナー。基本的なことですが、これまでの経験から基本に忠実にできることが何事も近道だと思います。選手がベストなパフォーマンスが出せるようにその時々の状況に合わせて臨機応変に仕事ができることも大切です。またチームで働く場合は多くのスタッフと関わることになりますので、その方々とも連携がとれるようにコミュニケーション能力は必要だと思います。
もう一度、女性がアスレティック・トレーナーとして競技現場で働くことで心に留めておいた方が良いことを教えてください。
選手が同姓でも異性でも、トレーナーとして毅然とした対応をすること、また環境により柔軟に行動することが大切だと思います。トレーナーという職業は、当然ながら人との関わりが多いです。その中でも、自分自身の言動もそうですが、女性トレーナーとしてどのように振舞えばよいか、しっかり考えて行動することは日常的に大切なことだと思います。私はトレーナー活動を通じて、多くの人と出会いがあり、支えて頂きました。人との出会いを大切に、多くのことを学びチャレンジしてください。