新潟県出身。早稲田大学人間科学部スポーツ科学科卒後、1999年9月に渡米。University of Pittsburghにて学士、ATC取得。Ohio Universityにて修士号取得。
現在はBrigham Young Universityにて野球部の担当である。
※MS:大学院修士課程修了
※ATC:全米アスレティック・トレーナーズ協会認定アスレティック・トレーナー
近年、アスレティック・トレーニングを学ぶためにアメリカへ留学する人々は多い。アメリカのアスレティック・トレーニングが、なぜ日本のトレーナー志望の人々をこれほどまでに強く惹きつけるのか。アメリカにおいて、アスレティック・トレーニングという職業が発展していった理由は何であるのか。
アメリカに留学している多くの日本人の中の一人、ブリンガムヤング大学の上松大輔氏に留学を決意させたエピソード、渡米後の実体験から感じた日本との違い、アメリカにおけるアスレティック・トレーニングについて語っていただく。
早稲田大学進学当初よりアスレティック・トレーニング、そしてアメリカに限らず将来海外へ留学をしたいという希望はありました。アスレティック・トレーニングを学びにアメリカへ渡る直接的、決定的なきっかけとなったのは、早稲田大学時代に出会った恩師(ATC)の影響が最も大きかったと思います。当時私は大学の体育会という決してアスレティック・トレーニング教育にとってベストとはいえない環境の中で、現場の指導者が不在ながらも学生トレーナーとしての活動を続けていました。アスレティック・トレーナーを将来の職業とすることは決心していたものの、国内の医療系専門学校進学か、アメリカ留学かという進路選択にとても悩んでいました。そんな中、私が大学3年次に、幸運にもその恩師が大学でアスレティック・コンディショニング論という授業を週一コマながら担当されることになりました。
その授業の初日に恩師が語った「アメリカ発のアスレティック・トレーナー像」は、現在と比べ圧倒的に情報量、情報収集方法ともに限られながらも様々な現場に積極的に見学に出かけて行くことによって当時私がおぼろげながらに築きつつあった日本のアスレティック・トレーナー像とは全く違っていました。しかしその恩師の語ったアスレティック・トレーナー像は、なぜか自分の理想としていたもの、こうありたいと思っていたものと、すべてが一致していたのを鮮明に覚えています。その後の2年間、恩師には週1度という限られた時間ながらも、様々な質問、とくにアスレティック・トレーニング、スポーツを取り巻くフィロソフィー、そしてそれが具現化されたシステムに関する質問を多くぶつけ、大きなそして決定的な刺激を受けさせていただきました。
恩師から頂いた多くの言葉の中で、私にアメリカ留学を決意させるきっかけとなったものの一つに、「アスレティック・トレーナーがなぜアメリカで発展してきたのか。アスレティック・トレーナーを取り巻く環境というものがどういったものなのか。アスリートにとって理想的な環境が与えられていると言われるアメリカでは一体どういった環境が提供されているのか、またそれはどんなフィロソフィーに基づいてのものなのか。そういったアメリカの『アスレティック・トレーナー、ひいてはアスリートを取り巻くフィロソフィー』を理解することなしには、いくら解剖学、生理学、障害の評価法などをマスターしたとしても、アメリカ発のアスレティック・トレーナーという職業を理解したとはいえない。また、それは同時に日本のスポーツ現場に大きく欠けている概念だと思う。」といったものがありました。
そういった日本での貴重な経験を経て、アメリカに渡りすでに5年半が経ちます。アメリカで得た経験、学んだものは、「アメリカに留学する事とは、単にアスレティック・トレーニングを学びにいくことを超えている」という恩師の言葉どおり、日本の大学で得た人生経験と同じ位、今の私の人生の大きな財産となっています。
次回、『University of Pittsburgh』は12月27日にUP予定